1 :2021/04/01(木) 22:44:25.63 ID:AmICRbst9.net
後閑愛実&ゆき味「看取りのチカラ」
医療は、「あの時、あの医療を受けたことで、死ななくてよかった」と、その後を幸せに生きるための手段の一つです。しかし、無理な治療を施したことで、最期まで苦しみ続ける人も少なくありません。
老衰の段階の人たちは「自然に枯れる」ことが、最も苦痛が少ないというのを何度も経験してきました。老衰は年をとって亡くなることではありません。体のどこか一か所が悪いというわけではなく、いろんな臓器の機能低下が同時に進行します。だんだんと、あるいは階段を下るように弱っていき、眠っている時間が長くなって、そのまま眠るように亡くなるといった感じです。老衰は医療では治せません。
「食べられなくなったら点滴を」という家族もいますが、病院でも在宅医療でも、老衰の段階では症状によって点滴をしないこともありますし、しても一日500CC以下ということもあります。今が最善のバランスだから、それを崩さないために「あえて、しない」という判断です。老衰の段階では、無理やり栄養を入れたり点滴したりしても、水分の代謝がうまくできず、体がむくんだり痰(たん)が増えたりして、苦痛を伴うことがあるからです。
無理な延命治療を続けた体は、意思疎通が困難なまま、皮膚が腐っていくうえ、口の中やあちこちから出血するようになります。昔、目尻が切れて血の涙を流しながら、ふり絞るような声で「やめて」と言われたことがありました。医療というのは名ばかりで、拷問をしているのではないかと、胸が締め付けられる思いでした。本当に、申し訳ないことをしていました。
不快な治療を拒否して、患者さん自身が点滴や管を抜いてしまうこともあります。そういう場合、病院では患者さんの手にミトン(指のない手袋)を付けたり、ベッドに縛りつけて動けなくする「抑制」をすることがあります。医学的な正解と本人の人生にとっての正解は、イコールとは限りません。その医療が本当に必要かどうか、本人も交え、家族と医療者が一緒になって考えていくことを願っています。
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