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【悲報】嵐、TOKIO、SMAPに続き…「V6解散」はジャニーズ総解散の前触れである!!

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1 :2021/03/24(水) 05:42:04.68 ID:CAP_USER9.net

■嵐、TOKIOに続きV6までも…
そして、ジャニーズ事務所には誰もいなくなった。

25年も続いてきたV6が今年の11月1日をもって解散することを発表した。

「嵐」が事実上の解散を発表(昨年末で活動休止)、TOKIOも山口達也の逮捕で活動を休止しており、長瀬智也が退社することが決まっている。

2019年にジャニー喜多川社長が亡くなってからは、中居正広、元関ジャニ∞の錦戸亮、元NEWSの手越祐也などが次々に事務所を離れてしまった。

そしてV6もとなると、ジャニーズ事務所は存続していけるのだろうか。私のような反ジャニ・ウォッチャーでも心配になる。

「嵐」の解散のきっかけは大野智の「嵐を辞めたい」というひと言だったが、V6のきっかけは森田剛(42)が2019年暮れごろに、退所を申し出たことからだったという。

それから年末まで三宅健(41)を中心に話し合いをしてきて、「6人でなければV6ではない」というごく当たり前の結論になり、解散が決まったと週刊文春(3/25日号)が報じている。

V6はジャニー喜多川に選ばれた6人組だが、坂本昌行(49)、長野博(48)、イノッチこと井ノ原快彦(44)の年長組を「トニセン」、森田、三宅、岡田准一(40)が「カミセン」と2つのユニットからできていた。

デビュー曲『MUSIC FOR THE PEOPLE』をリリースしたのは1995年、一世を風靡(ふうび)した光GENJIが解散した翌日に「お披露目会見」を六本木のヴェルファーレで行ったという。

■全員バク転ができ、ダンスはジャニーズ随一
週刊文春で当時を知る芸能記者がこう話す。

「フジテレビが独占放送していた『バレーボールワールドカップ』のイメージキャラクターとして結成され、後に同企画から嵐やNEWSもデビューしています。最年長の坂本と最年少の岡田は9歳年が離れた異色のグループで、トニセンとカミセンに分けたのはジャニーさんのアイディア。二手に分かれて活動できるようにと考えたようですが、初期のトニセンは完全に若手三人の引き立て役でした」

森田と三宅はジュニア時代から「剛健コンビ」として人気を博していたそうで、将来を悲観した坂本などは、サラリーマンに転じたこともあったという。

結成前にバレーボールの企画で呼ばれた坂本が、コーチの仕事と勘違いしていたという「逸話」も残っているそうだ。

だが、運動神経は抜群で、メンバー全員バク転ができ、ダンスの腕前はジャニーズ随一だそうである。

デビューした当時はパッとしなかったが、2年後の97年にTBSで『学校へ行こう!』が始まると、瞬く間にスターアイドルになっていった。

以来四半世紀近く、6人が一人も欠けることなくやってきた。だが、坂本や長野はもうすぐ50歳になる。

来年還暦になる松田聖子もアイドルを自認しているようだから、自分がそう思い込めばいいのかもしれないが。

■SMAP、嵐には遠く及ばないのになぜ続いたか
私は、V6が続いたのは、ジャニーズらしからぬ「お行儀の悪いグループ」だったからではないかと思う。

ジャニーズには不文律があるそうだ。「結婚するのは1グループ1人まで」がそれだが、V6は4人が妻帯者で、妻はすべて女優である。

このグループだけ結婚のハードルが低かったのは、SMAPや嵐のような国民的グループにならなかったから、事務所側も見て見ぬふりをしていたのだろう。

シングルが20数年間連続でオリコントップ10入りしたという記録はあるが、NHK紅白歌合戦に出場したのはわずか3回だけ。ファンクラブの会員数や音楽ソフトの売り上げによる事務所への貢献度はSMAPや嵐とは比べものにならない。

それに岡田や森田のように俳優としての活躍が多くなったため、V6というイメージが薄れていったということもあるのだろう。

しかし、このメンバー、写真週刊誌への貢献度では、他のグループをはるかに凌駕しているのである。

最初に所帯を持ったのは“イノッチ”で、2007年に女優の瀬戸朝香と結婚している。結婚後は仕事をセーブして夫を支え、文春によれば、「藤島ジュリー景子社長とも直に電話で話す間柄。(中略)陰で夫に尽くし、インスタでは手料理をアップ、時に事務所幹部とも話をする姿がキムタクの妻・工藤静香を彷彿とさせ、“第二の静香”と言う人もいます」(井ノ原家の知人)

https://news.livedoor.com/article/detail/19898369/

2021年3月23日 15時15分
プレジデントオンライン