1 :2019/08/06(火) 22:05:55.69 ID:NS/d8mx/9.net
公正取引委員会は注意したが、かつて吉本興業に所属していた漫才コンビ『B&B』の島田洋七(69)は12年近くテレビ界から干されている。
「1980年代にビートたけしと漫才ブームを牽引、その後、空前の大ベストセラーになった『佐賀のがばいばあちゃん』の著者である洋七は、
2007年に吉本を退社してからテレビ界とほぼ無縁な状態です」(バラエティー番組関係者)
1970年、洋七は吉本に所属。漫才コンビ『B&B』を結成したが、東京で一旗揚げるため吉本を退社、弱小プロに身を寄せた。
そして、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)の初代グランプリに輝き大ブレーク。
「たけしが“洋七のしゃべりに勝てるヤツはいない”と絶賛したほどです。
洋七は、当時、太田プロに所属していたたけしを誘い、今でいうところの闇営業、業界用語のショクナイ(内職)を正規の仕事の合間を縫って精力的にこなした。
たけしと洋七の2人のショクナイのギャラは2時間700万円。宮迫の100万円とは額が違いますよ」(当時を知る芸能関係者)
たけしと洋七が“ショクナイ”で稼いだ金を各々、2000万円ずつ持って、初めて東京・銀座のクラブに遊び行ったのはお笑い界で語り草になっている。その後、漫才ブームは終焉。
仕事が激減した洋七は吉本に出戻った。しかし、吉本の暗黙の了解で闇営業は続けた。
その中には、講演会という新しいジャンルの仕事が加わったという。
「洋七は『佐賀のがばいばあちゃん』を自主出版した。講演会でも宣伝したんですが、限界はある。
知人のツテを頼って徳間書店から『佐賀のがばい――』を文庫本で出版すると、累計600万部を超す大ベストセラーになった。
ところが、吉本と出版の印税をめぐって揉め、2007年8月に吉本を再度退社したんです」(同)
吉本の吉野伊佐男社長(当時)は、洋七の円満退社を強調したが、水面下では双方、抜き差しならない状態だった。
「吉本の副社長だった大?洋会長は洋七に“吉本は売れなくなった洋七さんを戻したんです。1円でもいい。
形だけでも印税を会社に入れてくれ”とお願いしたんですが、洋七は“本は自分の力で売れた。
吉本には協力してもらってない”と譲歩しない。
これでは所属芸人にも示しがつかないから辞めてもらったんです。事実上の契約解除だった」(元吉本社員)
吉本を退社した洋七は『がばい御殿』を建て活動の拠点を佐賀に移した。しかし、テレビ出演する機会には恵まれなかった。
「たまにテレビ局の若手スタッフから“面白い企画があるんです”と出演依頼はくるんですが、しばらく経って“企画は潰れました”の繰り返し。
企画を上げた段階で、局の上層部が吉本に忖度し話は消えるんです。
そんな状態が12年近く続いていますよ」(友人のマスコミ関係者)
洋七は2014年から『オスカープロモーション』に所属。現在、『バラいろダンディ』(TOKYO MX)の金曜MCを担当しているが、同番組は洋七自身が取ってきた仕事だという。
「民放キー局の仕事は、たけしが自分のレギュラー番組にたまに呼んでくれるくらい。いまだに干され続けていますよ。
一世風靡した洋七でさえそうなんですから、不満を持って吉本を去った芸人は洋七以上に惨めな生活を送っています」(在阪テレビ関係者)
吉本の契約解除は“地獄行き”への片道切符だ。
http://dailynewsonline.jp/article/1953675/?page=2
2019.08.06 21:00 週刊実話