1:名無しさん 2014/03/31(月)14:06:57 ID:???
※私はよく、初めて日本に来たときの最大のカルチャーショックは何だったかと聞かれる。食べ物?お辞儀? 靴を脱ぐこと?
いや、実は10代後半の若者が授業で鉛筆を使っていることだった。イギリスでは、鉛筆はまだペンを使えない幼い子供に使わせるもの。
10代の若者たちが片手に鉛筆、もう片方の手に消しゴムを持って何かを書きなぐっている姿は、私の目には異様に映った。
もちろん、子供に鉛筆を使わせることには万年筆に勝る多くの利点がある。
私が子供の頃は、12歳になったら何でも万年筆で書かなければいけなかった。
当時はまだペンの製造技術が発達していなかったから、指はいつもインクまみれだった。
シャツの胸ポケットの周りに大きな黒い染みがあるのも、それを学校のワッペンで隠すのもいつものことだった。
ノートも染みや汚れだらけで、書き間違いを線で消した痕が山ほどあった。
それに比べて日本の学生のノート(とシャツ)は、きれいできちんとしている。
教師や親にとってはいいことかもしれないが、子供にとってはどうだろうか。
鉛筆書きのきれいなノートでは、何を間違えてどう直したかは分からない。
発見と理解のプロセスが記録されていないのだ。残っているのは結果と正解、完璧なノートだけ。
これは学ぶ機会の喪失と好ましくない思考習慣につながるようにも思える。子供は間違いを恐れ、リスクを回避するようになってしまう。
こうした習慣がひいては金融や経済、そして革新を生む力に悪影響を及ぼしかねない。
「失敗は前進のプロセス」と考え慣れていない子供は、進歩を生み出す冒険心や勇気を抱くこともないだろう。
科学の進歩は理路整然とした正解からではなく、誤りや修正を通じて生まれる。
失敗から答えを編み出すプロセスに慣れていない子供は新しいものに挑む勇気を失い、既存のものを真似するだけになってしまう。
スポーツの分野でも、失敗に慣れていないと慎重になり過ぎて本来の力を発揮できない。
学校教育に万年筆を取り入れることで、日本人選手のハットトリックや金メダルもきっと増えるはずだ。
http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2014/03/post-815.php