1 :2024/08/28(水) 01:31:55.67 ID:X6avR5dN9.net
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イスラムでは、ムスリムの子は生まれながらにしてムスリムであり、棄教が明るみに出れば文字どおり死罪とされるため、簡単にムスリムをやめることはできない。
だが、若い世代に共通するのは、「自分はたまたまムスリムに生まれただけだ。大事なのは人間性であって、宗教ではない」という考え方である。そんな彼らにとって、イスラムはもはや自己のアイデンティティではなくなっている。
● イランを出て、英国に留学して信念が揺らいだ
さらに、私の友人たちのなかには、「自分はもうムスリムをやめた」とこっそり打ち明けてくれた人も少なくない。
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コーランでは、女性の価値は男性の半分と明確に規定されており、男性に従わない女性は殴ってもよいとする記述すらある。だが、タハ君の彼女は、彼自身が恐れ入るほど聡明で忍耐力があり、自分の半分どころか、その何倍もの価値があるように思えたという。
「コーランは神の言葉じゃない。そのときそう確信したんだ。もし、それが神の言葉なら、現代にも通用する真理を語っていなければならないだろう? 現代は男女平等で、男性よりも優れた女性だってたくさんいるのに、コーランでは一貫して男尊女卑が説かれている。それはこの本が、未来を予見できなかった昔の人間の手によって書かれたものであることの、何よりの証拠だと思うんだ」
なるほど。でも、はっきり言って、それってムスリムでない日本人なら最初からうすうす感じていることなんだよなあ。
私が率直にそう言うと、彼は大きな目をぱちくりさせていた。
しかし、一人のムスリムが「コーランは神の言葉にあらず」という結論に達するまでには、われわれが想像する以上の時間と葛藤、そして勇気が必要なのだ。彼の表情はそのことを物語っていた。
タハ君は、今ではもうコーランを開くことはないし、礼拝や断食をすることもない。週末の彼のルーティンは、私のような友人を招いてワインやビールを飲み交わすことだ。
「宗教がなくても、僕たち一人ひとりが人間性を身につけて、清く正しく生きる努力を続けていけば、世の中はきっとよくなる。宗教側は、それじゃカネにならないから、絶対にそんなこと言わないけどね(笑)」
そう語るタハ君に、私はもう一つ気になっていた質問をぶつけてみる。それは、彼が神の存在を今も信じているかどうか、ということだ。彼は言う。
「もし神がいるとしたら、それは人間の心のなかにいるんじゃないかな。理性と感情の総体というか…。良心と言いかえてもいいかもしれない。いずれにしても、遠い宇宙の彼方から、僕たちにあれこれ命令してくるアッラーなんて神は存在しないよ」
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「イスラムという宗教は、人間の内面よりも外面に重きを置いていると思うの。このイラン社会と同じようにね」
信者はそれらを守ろうと努力することになるが、それはややもすれば「守ってさえいればよい」という態度にもつながる。
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あるいは、何度もメッカ巡礼に行ったお金持ちは、お金がなくて一度もメッカに行ったことがない貧乏人よりも偉いことになる。たとえ後者のほうが信仰心において勝っていても、である。
信者の生活を拘束するイスラムは、そこからさらに共同体や国家のルール、すなわち法体系をも発展させることになった。イスラム法学には、コーランの言語であるアラビア語の能力が必須である。そのため、アラビア語ができる者は、できない者よりも優位に立つことになり、ここでもまた序列が生まれてしまう。
レイラさんは言う。
「結局ね、イスラムが私たちの一挙手一投足にまで口を出す宗教として成立したこと。それが、そもそもの過ちだったのよ。もしこの宗教が人間の心だけを問題にしていれば、今のように内面が軽視され、外面だけで人間が序列化されるような世の中にはなっていなかったと思うの」(以下ソース)
8/24(土) 7:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/30fd40f8819e00e107d2066caf7a90eeb1235cad