1 :2024/07/16(火) 21:08:49.56 ID:SW8NSMC/0●.net
■何をしていいのかわからない
朝起きて、なんとも元気が出ない。そうして無理やり起き上がるも、ひざが痛くてたまらない。それでもなんとか起き上がってはみたが、別にやることもないので、しばらくぼんやりと庭を眺めている。
朝からいきいきと「今日何を楽しもうか」なんて考えられる高齢者はまずいないでしょう。多くの場合「今日は何をすればいいのだろう」、そこから毎日が始まるのです。
このように、生きる目的がはっきりしない高齢者の生活を見て、あなたはどう思うでしょうか。
おそらく、否定的に捉えてしまうでしょう。
しかし、「何をすればいいのかわからない」と考えられる余裕があるだけ、じつは幸福だとも言えます。
いくつかの病気を抱えた高齢者は、痛みで動けず、1人で外出することもできません。家にいるしかないということになります。
認知症が進行した患者さんなら、朝、デイサービスの迎えの車が来ます。それに乗って通所施設へ行き、あとはみんなと一緒に体を動かしたり、頭の体操をしたりしなければいけないのです。
つまり、「何をしていいのかわからない」という人は、選択の自由を持っているということです。
昼食を食べたくなければ、食べなくてもいい。いつ食べてもいいし、何を食べるか自分で決めていい。こうした選択の自由は、じつは非常に大切なものです。
■「趣味がない」=「孤独」ではない
「充実した老後」というのはよく耳にしますが、それらはすべて幻想です。メディアが作りだしたイメージです。
老後を迎え、現役時代にはできなかったたくさんの趣味に手を出して「充実した人生を送ってますよ」という人を、私はほとんど見たことがありません。
もちろん、趣味を楽しんでいる人もいるでしょう。しかしそれによって、本当に充実して満足した老後を過ごしているかといえばそうではないでしょう。無理しているだけかもしれません。
その一方で、「無趣味なので何をしていいのかわからない」という言い方をする人もいます。
ですが、むしろそのほうが自然でしょう。実際に、無趣味で何もしていない人のほうが多いのです。