1 :2023/09/12(火) 00:34:51.27 ID:CFQqFeWF0.net
国家理性に委任することなく、自分たちの安全を守るために私的に主張する正義のことは「自警団的正義(vigilante justice)」と呼ばれ、正義に反すると思えば躊躇なく私的制裁に打って出る人々がいる。
1981年3月6日、マリアンネ・バッハマイヤー(当時30歳)は法廷に銃を持ち込み、7歳の娘を虐待して首を絞め殺したクラウス・グラボウスキー(当時35歳)の背中に銃を向けて8回発砲して銃殺した。
マリアンネの自警団的正義の行為は、当時のメディア報道を席巻し、多くの理解者や支持者を獲得した。彼女は当初、殺人罪で起訴されたが、後に過失致死罪で有罪判決を受けて懲役6年を言い渡されたのである。
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グラボウスキーは、7歳のアンナは彼を誘惑して身体を触らせ、そのことを母に言いつけると脅し、お金を要求したために殺害したと主張した。
マリアンネはこの主張にショックを受けて憤慨し殺意を覚えたのである。
1982年11月2日、マリアンネは殺人罪で起訴されたが、検察は後に殺人罪を取り下げた。4カ月後、彼女はリューベック地方裁判所で過失致死罪と銃器の不法所持で有罪判決を受け、6年の禁固刑を言い渡された。だが彼女は3年間服役した後に釈放された。殺人を犯して3年の刑期で出所したというのは異例のことである。
彼女の私的制裁から13年後の1995年、マリアンネはラジオ番組に出演し、その後に自伝も出版された。
児童虐待の常習者であったグラボウスキーを去勢手術を条件に釈放したことは正しかったのだろうか。もちろん釈放されていなければアンナの命が奪われることはなかった。
そしてすでに死刑が廃止されていたドイツで、グラボウスキーがこの先ものうのうと生き永らえることをマリアンネは許せなかったということなのだろう。多くにとってマリアンネの私的制裁を“愚行”だと言い切ることは難しいに違いない。