1 :2023/05/21(日) 05:09:32.88 ID:YUMpIMtF9.net
モディ首相はヒンズー教主導の多数派主義を、学校のカリキュラムと教科書を含めインドに押し付けようとしている。1000人近いムスリムが殺害された2002年のグジャラート州の事件に関し「宗教的感情を政治目的で利用することの危険をわれわれに警告した。それは民主的な政治に対する脅威となる」などと指摘した2ページが切り落とされ、インドの2億人のムスリムの長い歴史におけるその他の出来事も削除された。
インドの生徒達と民主主義が置かれた状況は悪化している。
インドの国立教育研究訓練評議会(NCERT)は昨年来カリキュラムの改定に取り組んで来た。削除は大幅である。インドの歴史的なイスラムの統治者についての章は縮小されるか削除される。教科書はムガル帝国(16~19世紀にインドを支配したイスラム王朝)について掘り下げることはしないであろう。インドの名高い民主主義の成立についての章も削除された。
教科書書き換えは、最大の人口を擁する民主主義国として落胆させる事態である。インドのムスリムの物語を教科書から消し去ることは、ロシアがスターリンの弾圧の歴史を覆い隠し、中国が天安門事件への言及を抑圧するのと同様、法外なことである。更に、子供達を洗脳することは、歪められた歴史が何世代もの間続くことを確かなものとする。
他にも民主主義の後退の不穏な兆候がある。最近、英BBCはグジャラート州の暴力事件におけるモディの役割に焦点を当てたドキュメンタリー「India:The Modi Question」を放映したが、モディの政府はこれを阻止すべく、税務当局がニューデリーとムンバイのBBCの事務所を急襲した。これは、中国やロシアで通常用いられるメディアを沈黙させるための威嚇の手法である。
中国との関係で、インドの役割は米国にとって極めて重要な関心事である。バイデン政権はモディの民主主義からの遺憾な後退について声高に語らないことを選択している。バイデン政権は彼の後戻りについても声を大にすべきである。
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この社説の主題は、ナレンドラ・モディと彼の政党インド人民党(BJP)によるインドの歴史と政治に関する教科書の書き換えである。教科書の書き換えは、過激なヒンズー・ナショナリズムのビジョンに基づき、事実を蔑み、インドを純粋にヒンズーの土地として描こうとする試みのようである。
ムガル帝国を語ることなくしてインドの歴史を語ることは不可能である。インドの人口の7分の1を占めるムスリムはムガル帝国の遺産である。にもかかわらず、教科書のムガル帝国に関する記述が縮小され削除されている。昨年6月に米ウォールストリート・ジャーナル紙コラムニストのウォルター・ラッセル・ミードが同紙に書いた論説によれば、ヒンズーのナショナリストにとって、ムスリムのムガル皇帝による統治はインド文明にとって英国の植民主義と同様の惨事であったと見なされている。
「マハトマ・ガンディーによるヒンズーとムスリムの結束の飽くなき追及がヒンズーの過激主義者を挑発することとなり、彼らは数度にわたりガンディーの暗殺を試みた」、あるいは「(ガンディーは)インドがヒンズー教徒のための国となることを望む人々に特に嫌われた」との記述は削除された由である。
教科書が洗浄した最近の出来事に、多数のムスリムが殺害された2002年のグジャラート州の事件があることは、この社説が指摘している通りである。この事件では、巡礼中のヒンズー教徒が列車火災で死亡したことが引き金となって、狂暴な暴力事件により1000人近いムスリムが殺害された。そして、グジャラート州の当時の首席大臣がナレンドラ・モディだった。
■西側諸国にとっても難題
しかし、教科書の書き換えそれ自体が民主主義に対する挑戦とまでは言えないであろう。この種の問題を外国政府が批判することには困難が伴う。インド太平洋におけるインドの役割に期待する諸国にとっては、特に困難である。しかし、教科書の書き換えからも読み取れる、非ヒンズー教徒の排斥、あるいは自由な言論の封殺といった抑圧的な国内政治は、いずれ自ずと西側との関係を蝕む。(以下ソース)
5/17(水) 6:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/1c374652e2940b662de3b28328c561e9c1ef09ea