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フィフィが指摘する日本の弱点「侘び寂びとかファジーなんて言葉が通じるのは日本だけ」「発信力、明らかに海外に負けている」

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1 :2023/05/13(土) 23:49:59.87 ID:0dTtb4we9.net

https://shueisha.online/culture/130162?page=1

2023.05.13

――さっそくですが、外国の人に比べると、日本人はどうも他人に対して冷淡というか、壁をつくる感じがしませんか?

フィフィ(以下同) 自分の意見や感情を出すことを、日本人は子供じみているとか幼稚だと捉えがちですよね。嬉しい、楽しいというポジティブな感情ですら、なかなか表に出さない文化、あるいは習慣があります。
中略

日本が非常に均質的で、暗黙の了解で通じ合うハイコンテクストな社会だからですよね。私は大学卒業後にアメリカに行き、その常識がことごとく壊されました。とても印象的な出来事があるのですが、英語学校ですごく悪い成績をとってしまい、先生に抗議したんです。そしたら「あなたは全然発言しなかったし、手も挙げなかったよね」と。「いや、私は授業の内容理解してますよ。分かっているってわざわざ言わなくて良くないですか?」と返したら、「あなたが分かっているかどうか、教師が顔色見て判断しないといけないの? 自分で表現しない限り、あなたは『分かっていない人、答えられなかった人』と見はなします。そういう人は、人種のるつぼのアメリカでは、負けます」と言われたんです。

当時はそういうものかと思いましたが、大人になって国際政治に興味を持つようになって、その意味がすごくよく分かるようになりました。日本って、発信力で明らかに海外に負けていますよね。技術力や文化の面は素晴らしいけど、政治や外交に発信力が備わってなかったわけです。だからいつも言われっぱなしになってしまう。

事を荒立てないようにするという大人の対応は、日本国内では通用しても、国際社会ではただ「発信力が弱い」という評価で終わります。自分から表現しない限りゼロと見なすというのは、こういうことです。

2020年に中国の王毅国務委員兼外相(当時)が来日した際には、記者発表の場で尖閣諸島について「自国の主権を守っていく」と明言した王毅外相に対し、日本の茂木敏充外相(当時)はその場で十分な反論ができなかった。それでネットでは保守派から「シエシエ茂木(謝謝茂木)」と揶揄されたんです。
中国だったら、その場ですぐにしっかり反論したはず。日本だと場の空気を乱しちゃいけないと思って、何も言わなかった。象徴的なシーンでしたね。

相手の言うことも尊重した上で、自分の言いたいことも言うのが国際社会では大事なんです。お互いが対等になることが大事。言われっぱなしでは対等にならないんです。

侘び寂びとか、一昔前に流行ったファジーなんて言葉が通じるのは、日本だけなんです。日本の美学が崩れてしまう部分もありますが、それとこれは別であると、学校で教えていかないといけない。授業中に手を挙げる生徒に対し、もっと高い評価を与えていく必要がある。他人との間に摩擦をつくらないという考えも日本の美学や文化として継承していくのはいいと思いますけど、使い分けないといけませんよね。

バックグラウンドが多様な集団のなかでは、ある程度ストレートに言わないと伝わらないんですよ。分かってくれるだろうと曖昧な表現をしていると、誤解が生まれてかえって大変なことになるんです。

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