1 :2023/02/12(日) 13:22:14.28 ID:yzRdJFAQ9.net
ロシアの侵攻を受けるウクライナを支援しようと、タレントのデヴィ夫人が1月下旬、現地を訪問した。ウクライナは61年前にも訪れたことがある思い出の土地。文化と芸術の国に攻め込んだプーチン大統領への「火山が噴火するくらいの怒り」が支援のきっかけだったという。デヴィ夫人は共同通信の取材に「ウクライナを負けさせたら民主主義の墓場」「岸田文雄首相もウクライナに行くべきだ」と熱弁を振るい、話は日本の政界の「老害」にも及んだ。戦争もクーデターも経験したデヴィ夫人が見たウクライナの現状とは―。(共同通信=角田隆一、岩橋拓郎)
▽爪をあの2色に塗り
空は曇り、気温はマイナス4度。1月23日午後、ウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊ブチャの教会にデヴィ夫人の車列が現れた。昨年2月のロシア軍の侵攻後、ブチャは一時的にロシア軍が占領した。ロシア軍が撤退後、数百人を殺害し、この教会のそばの集団墓地に埋めたことが発覚した場所だ。埋葬された場所でデヴィ夫人は合掌すると、現地メディアの女性レポーターのインタビューに英語で流ちょうに答えていた。キーウも訪れ、「人々は一見、普通の生活をしているようでした。でもいつ空襲警報が鳴るか分からず、全員が早足で歩いていました」と語った。
ウクライナへの支援内容としては、まず1月中に防寒着や石油こんろなどを積んだコンテナ4個を送り、2月末に届く予定になっている。しかし現地は厳しい冬を迎えている。「せめてすぐに使えるものを手配しようと思って」使い捨てカイロやおむつ、懐中電灯などをスーツケースに詰め込んで、コンテナとは別に自身で現地に届けることにした。スーツケースはウクライナ国旗と同じ青色と黄色のものを選んだ。爪も同じ2色に塗った。
戦時下のウクライナには民間機が飛んでいないため、隣国モルドバを経由して陸路でウクライナ入りした。キーウ近郊の軍病院を訪れたり、非常事態庁の関係者と会い、不足している物資の説明を受けたりしたという。デヴィ夫人は83歳。地元の記者は「とてもそんな年齢に見えない。すごい体力だ」と舌を巻いた。
▽「私は行動したい」
そもそもデヴィ夫人がウクライナ支援に乗り出したのはなぜなのか。デヴィ夫人は1962年に3週間、ソ連時代のウクライナのキーウを遊学のため訪れたことがあり、「キーウには特別な思い出と思い入れがある」のだという。そんなウクライナがロシアの蛮行の被害に遭っている。「とても美しいオペラ、建築が壊されるなんて信じられないと思いました」。自身が運営する財団が支援するウクライナ出身の声楽家やバレエダンサーを通じウクライナと縁があったこともあり、「いてもたってもいられなくなった」。
駐日ウクライナ大使と話した際、大使館に日本全国から大量の支援物資が集まり、置くスペースがないため埼玉県の倉庫に保管していると知った。予算不足の大使館が本国に送れないと対応に困っていることも分かり、コンテナ4個分の輸送費の資金捻出に協力した。「私は行動したい。ただ見ているだけでは、ただ祈るだけでは何も実現しません」
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https://news.yahoo.co.jp/articles/d8e20a5bc2b2723bf7b41e752f867117d37661a7