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「親ガチャ」という言葉に腹を立てる努力至上主義者の主張が的外れである理由

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1 :2022/01/07(金) 00:21:19.65 ID:B10rVfal9.net

 「親ガチャ」という言葉がTwitterトレンドに入るほど流行していたとき、興味があってワード検索をかけてみると、ネガティブな反応や嫌悪感を露わにしているつぶやきが非常に多かった。
例えば「生んでもらった親に対して敬意がない」「親を『ガチャ』という言葉で否定するなんて、親が聞いたら悲しむ」という風に、
親サイドの目線に立って考えている人たちによる意見が目立ったように思える。

 もちろん若者であっても、親が自分を生んで育て上げてくれたことに感謝し、
今も良い関係を築けている人であれば「自分の親を『ガチャ失敗』などと例えるなんて」と、「親ガチャ」に対して拒否反応が出てもまったく不思議ではないだろう。

 私個人としては「親ガチャ」という言葉を好んでは使わない。しかしながら、世の中で起こっているさまざまな不平等を解決しようとするとき、
なくては語れないのが「生まれ育った環境」についてだ。日本における(相対的な)貧困問題はまさにそのひとつで、
自分が生まれた家庭、育った環境、親が持つ経済力や文化的資本、社会的資本、知的資本がそのまま子へと受け継がれ、大きく影響を与える。

 そうした背景を踏まえると、新型コロナ感染症による経済的打撃を受けた人たちを含め、
多くの人々の注目が「自分の努力でどうにもしようがないこと」へと集まったのが今回の「親ガチャ」という言葉への共感・流行であり、2021年の象徴的なできごとであったと思う。

(続きはソースにて)
https://bunshun.jp/articles/-/50565