1 :2020/09/03(木) 06:46:43.49 ID:CAP_USER9.net
全米オープンに出場中のプロテニスプレイヤー・大坂なおみさんが、SNSで一部の人たちから叩かれている。
大坂さんは、警官に銃撃された黒人女性の名がプリントされたマスクを着用して入場、同様のマスクを7つ用意しており、大会中に着け続けると表明した。また、全米オープンの前哨戦であるウエスタン・アンド・サザン・オープンの27日の準決勝を、黒人男性が警官から発砲された事件への抗議として、ボイコットした。
それが気に食わない人たちが、「スポーツに政治を持ち込むな」などと叩いており、CMに起用している日清の商品に対して「不買」を呼びかける人まで現れる始末だ。
ご存じのように、アメリカでは人種差別は非常に大きな問題で、NBAやメジャーリーグの選手たちも試合のボイコットや中止を表明しているが、このように個人攻撃をされたという話は聞かない。なぜ大坂さんだけが、バッシングされなくてはいけないのか。
大坂さんを罵っている人たちのSNSを見ると目立つのが、そもそもの発端となった黒人男性への発砲は、警察の命令に従わなかった「自業自得」である、という意見だ。それを人種差別に結びつけて略奪や暴動をしている人たちは、トランプ大統領が言うように「テロリスト」であって、これを煽っている大坂さんも同罪だというのだ。
このあたりは、「安倍首相憎し」でユーミンにまで「早く死んだ方がいい」と口走ってしまう人と「安倍信者」が、なかなかわかり合えないのと一緒で、まったく理解できないという人も少なくないだろう。だが、イデオロギーが違えば、「世界」は180度変わって見えてくる。「黒人による凶悪犯罪の多さを考えれば、警察だって正当防衛で8発くらい撃つだろう」と心の底から考えるような人たちも、世の中には存在しているのだ。
ただ一方で、そのようなイデオロギーはゼロで大坂さんをディスっている人もいる。彼らの主張は何とも日本人的というか、この国で働く人たちの「仕事」というものに対する考え方を反映していて、興味深い。
それは一言で言ってしまうと、テニスの大会で人種差別の抗議をするのは「プロとして失格」ということである。
たとえば、あるスポーツ紙のテニス担当記者の方は記事で、人種差別問題に理解を示しつつも、大坂さんの試合ボイコットに「違和感」を表明した。大坂さんの活動は、家族や友人だけではなく、ファンやスポンサー企業、さらにはマネジメント会社や大会主催者、メディアなどなど数え切れないほど多くの人々に支えられているので、個人の主義主張で試合をボイコットすると迷惑がかかる、と苦言を呈しているのだ。
また、「敗れた選手」に悪いともいう。プロテニスプレイヤーは1試合、1試合に自分の人生命をかけて望んでいる。人種差別に対して抗議をすることよりも、そういう人たちの人生の方がはるかに重いはずだ、というのだ。
■「日本的プロ意識」が大坂さんへの反感を生み出す
このように考えるのは、この記者だけではない。SNSには「羽生結弦くんや浅田真央ちゃんだったら、日本人が差別を受けるようなことがあっても、大事な試合を棄権などしない」と言っている人もいる。どんなに腹に思うところがあっても、それをグッと押さえ込んで、自分の求められる役目を果たすのが「プロ」だという考え方は、日本ではかなりメジャーなのだ。
つまり、そんな「日本的プロ意識」が、「アスリートである前に黒人女性」と抗議を続ける大坂さんに対する反感を生み出している可能性があるのだ。
と言うと、日本人のプロ意識を批判しているように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。こういう仕事に対するストイックさが、日本人の勤勉さに繋がっており、日本企業のチームワークに貢献しているのは紛れもない事実だ。
ただ、物事には良い面があれば必ず悪い面がある。では、「日本的プロ意識」の負の側面は何かというと、「個人の軽視」だ。
「親や子どもが死んでも、みんなに迷惑をかけないよう仕事を休まなかった」「病気に苦しんで大変な時期だったけれど、周囲にそういう素振りをまったく見せずに大きな仕事を成し遂げた」などというエピソードが、時としてサラリーマンの「美談」として語られているように、「プロ」には自分を犠牲にすることが求められる。
だから、テニスファンのため、スポンサー企業のため、そして日本のため、自分の心を殺すことができない大坂さんにイラつくのではないか。「みんなの迷惑を考えないなんて、自分勝手な人間だ」と怒りが込み上げてしまうのである。
(文字数制限のため以下はリンク先で)
ダイヤモンドオンライン 2020.9.3
https://diamond.jp/articles/-/247582