1 :2020/06/24(水) 05:22:53.51 ID:1HqjJUCx9.net
2020年06月23日20時34分
太平洋戦争末期、激戦地となった沖縄県糸満市。住民の多くは「ガマ」と呼ばれる洞窟内に逃げ込んだが、追い込まれた日本兵が住民を追い出し、殺害することもあった。語り部を続ける大城藤六さん(89)は「米兵より日本兵の方が恐ろしかった」と振り返り、戦争の真実を伝える教育の重要性を強調する。
1945年5月、「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の砲撃が激しさを増す中、同市真栄平に住んでいた大城さんは親族27人や同じ集落の住民とともに大洞窟「アバタガマ」に避難していた。しかし、撤退してくる友軍を迎えるためとして、日本兵からガマを出るよう求められた。軍刀をガチャガチャと鳴らし、威圧的に迫る将校が怖かった。
親族らと大きな石でできた古い墓の中に移ったが、そこに砲弾が命中。14人が即死し、大城さんも膝を負傷した。その後防空壕(ごう)に逃げたものの6月22日、目前に米軍の戦車が迫った。一族の最年長だった伯父は、持っていた手りゅう弾による自決を提案。戦時中の教育で、投降すれば殺されると皆が信じていたからだった。反対した大城さんは、男3人で防空壕を脱出し、排水溝に身を潜めた。
大城さんは同24日、投降した。先導してくれたのは米国で暮らした経験を持つ集落の男性医師。「出てこい」と呼び掛ける米軍が決して残虐ではないことを説明し、捕虜となるよう勧めた。実際、投降後米兵は丁寧に接してくれた。一方で防空壕に残った10人ほどの親族は投降に応じず、投げ入れられた発煙弾の煙を吸い込み妹4人が亡くなった。
===== 後略 =====
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