1 :2020/06/13(土) 16:52:19.40 ID:bH5S05ga9.net
ABEMA TIMES 2020.06.12 14:20
https://times.abema.tv/posts/7057789
動画のほうがわかりやすいです。
https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p1971
1977年に13歳で行方不明になった横田めぐみさんを探し続けて43年。再会が叶わないまま亡くなった滋さん。
現在、日本政府が認定している拉致被害者は17人、その可能性がある人は800人を超えており、
問題解決に向け進展が見えないことについて、安倍政権への批判が再び高まっている。
一方、めぐみさんの弟・横田哲也さんが9日の会見で「あるジャーナリストやメディアの方が、
安倍総理は何をやっているのかというようなことをおっしゃる方もいる。
北朝鮮問題が一丁目一番地で掲げていたのに何も動いていないのではと。
安倍総理、安倍政権が問題なのではなく、40年以上も何もしなかった政治家や、
北朝鮮が拉致などするはずないと言ってきたメディアがあったから、ここまで安倍総理、安倍政権が苦しんでいる。
安倍総理、安倍政権は動いてやって下さっている。なので、
何もやっていない方が政権批判をするのは卑怯だと思う」と訴えたことが注目されている。
11日の『ABEMA Prime』では、衆議院の拉致問題特別委員長を務めるなど、
長年にわたって問題に取り組んできた平沢勝栄衆議院議員に話を聞いた。
■「“北朝鮮を攻撃するためのでっち上げだ”という声が強かった」
そもそも、北朝鮮はなぜ日本人を拉致するようになったのだろうか。
平沢氏は
「後で結果的に分かったことだが、韓国との対立が厳しくなるにつれ、
北朝鮮から韓国に工作員を送りづらくなっていった。
そこで日本経由、あるいは日本人のパスポートを使って送り込んだ方がいいということになり、
日本人を拉致し、日本語や振る舞いを教育するようになった。
例えば1987年、ソウルオリンピックの前年に飛行中の大韓航空機が爆破される事件が起きたが、
実行犯の1人である金賢姫は逮捕時に日本人のパスポートを持っていた。
さらに、その教育係は拉致被害者の田口八重子さんに間違いないということもわかった」
と説明する。
このような拉致事件が発生したのは、主に1970年代後半から80年代にかけての時期だとされている。
1980年にはサンケイ新聞(現・産経新聞)が疑惑をスクープ報道したものの、世間の反応は冷ややかだったという。
平沢氏は
「今では考えられないことだが、小泉元総理が訪朝した際に北朝鮮が拉致を認める以前は
“北朝鮮がなぜ中学生の女の子を拉致しなければならないのか
”“日本人を拉致するはずがない”といった声の方が強かった。
特に80年代までは旧ソ連・社会主義陣営の北朝鮮と、
アメリカ・資本主義陣営の韓国は激しく対立していた冷戦時代。
政党、政治家、東大教授などの有識者にも
“共和国(北朝鮮)を攻撃するためのでっち上げだ”と主張する人が多く、
空気としてもそれが支配的だった。
確かに産経新聞は拉致だとして一生懸命に追っていたが、
あくまでも“疑い”だったし、
他のメディアは無関心なところが多く、
中には北朝鮮寄りの報道をしていたところもあった」
と振り返る。
日本政府が北朝鮮による拉致を正式に認めたのは1997年。
この年、横田夫妻はめぐみさんが北朝鮮で生きていることを知った。
娘を探し始めて20年が経っていた。
そして金正日総書記が日本人の拉致を認め、5人の被害者の帰国が実現したのは、2002年、
当時の小泉総理が北朝鮮を電撃訪問したときのことだ。
(続きはリンク先と動画)