1 :2020/05/20(水) 08:30:44 ID:+h1MJr7k9.net
もっともこの異常な状況下で元気がよいのは、メディアをジャックする「貴重な機会」を掴んだ一部の(自称を含む)専門家くらいのもので、
仮に緊急事態宣言が解除されたところで、自粛要請が生み出した沈鬱な世相は容易に元へは戻らない。
コロナウィルスによる日本での死者自体は欧米に比べて圧倒的に少なく、一般人に求められる予防法が通常の感染症
(たとえばインフルエンザ)と大差ないこともわかってきた。
それでもメディアが「未曽有の危機」として報道を煽り、あれこれの対策リストを列挙するのは、
むしろ国民を「躁的」な状態へ誘導してうつを緩和するためなのかとさえ、感じることがある。
かつてない初めての困難に立ち向かう経験は、人の心を奮い立たせるものがあるし、
何より対応に失敗しても、そこまで自責の念を感じなくてすむ。
しかしそれがほんとうは、「初めて」ではなかったとしたらどうだろう。少なくとも、あなたの眼にはそれが
「以前の失敗の繰り返し」として映り、しかしそう訴えても、誰も耳を傾けてくれないとしたら。
2月半ばにパニックが口の端にのぼってからの約100日間を、かつて歴史学者だった私は日本近代史の走馬灯を見るかのように過ごした。
あまり報じられないが、新型コロナの死亡率は北米および西欧の「先進国」で高く、東アジア・東南アジアなど中国の近隣国を含む「途上国」で低い。
事前に中国から流入して免疫がついていた、BCG接種が効いたなどの多様な解釈が語られているが、
本来は日本人がここまで騒ぐ必要のある病気でなかったことは確かだ。
ところがこの間に起きたパニックは、騒ぐ本人が錯乱しているとしか言いようのないほど、無軌道で首尾一貫しないものとなった。
たとえば3月末には「政府は緊急事態宣言を出し、国民はどんな権利の制限でも甘受すべき」と叫んだ人が、
5月頭には一転して「自粛による経済の萎縮は、政権による人災だ」と罵っている例は、枚挙にいとまがない。
どうしてそんな、殺伐としたカオスが生まれたか。理由は単純だ。日本人が、自分たちを「欧米人」だと思いたがったからである。
もし私たちが、自国をアジア圏の一員として捉えてコロナに対応していれば、少なくとも
(文字どおりの非常事態に陥っている)欧米の都市封鎖を真似るという発想にはならなかったろう――死亡率がまるで違うのだから。
ところが自らを「欧米と同じ先進国」と見なすがために、「なぜ彼らがやっていることを、われわれもやらない!
できないなら世界に通用しない国になる」との強迫観念にとり憑かれて、今日に至る。
まるで、明治以降の近代日本である。とくに「海外渡航・在住歴」を看板にして「国際人」を自称する日本人が、そうした論調を煽ったあたりもそっくりだ。
元・公立大学准教授 與那覇潤
1979年生。東京大学教養学部卒業、同大学院総合文化研究科博士課程をへて、2007年から15年まで地方公立大学准教授として教鞭をとる。博士(学術)。
在職時の講義録に『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫)。その他の著作に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)など。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72693